管理人のおすすめ名曲 ドボルザーク 交響曲第8番

今回は、ドボルザークの交響曲第8番を取り上げようと思います。

しかし改めて思うのですが。。。

「交響曲第8番」と言われてもねえ。。。と思う方も居られるかもしれませんね。

以前ご紹介した曲でも、例えばバッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番」とかショパンの「練習曲集作品10の第1」とかね。

管理人はとっくの昔に「こういうものだ」と慣れてしまっているのですが、初心に帰れば、これでは取り付く島もないよなあー。

味も素っ気もないというか。

初心者の方々にとっては、なんのこっちゃわからないというか、曲名にあまりに色気がなさすぎる。

クラッシックの曲には、このような無機質な色気のない曲名がそれこそわんさかあり、これもクラッシックの敷居が高くなっている要素のひとつとなっているのではないか?と改めて感じている次第です。

ドボルザークの交響曲第8番は副題として「イギリス」と呼ばれることもあります。ではなぜ「イギリス」かというと、この曲の楽譜がイギリスの出版社で出版されたからだという。。。曲の中身とはなんの関係もないんです。なんか、ほんまに色気のない話しです。

でもね、この曲。蓋を開けて、実際に曲を聴けば、どんなに豊かな世界が繰り広げられていることか!!ドボルザークの生まれ故郷のボヘミアの香りが満載の超絶名曲なんです。曲名は無機質ですが、そのせいで聴かないのはあまりにもったいない!!

ドボルザークと言えば、管理人は既に、「クラッシック入門名曲100選」において、交響曲第9番「新世界より」をご紹介しています。「新世界より」は鉄壁の完成度とポピュラリティーを誇る無敵の一曲で、それに比べると、この交響曲第8番は、その認知度においてやや劣るかもしれません。更に、この曲を聴く人によれば、「新世界より」よりもやや地味な印象を受けるかもしれない。実際、管理人が中学生の時にこの曲を初めて聞いた時の印象もそうでした。

しかし、管理人の好みから言えば、交響曲第9番「新世界より」よりも、この交響曲第8番の方が好きかもしれない。いや、間違いなく好きでしょう。

始めに地味な印象を受けたとしても、何回も繰り返しリスニングをしている内に、その曲の魅力がじわじわわかって来て、最終的にその曲の魅力に取りつかれてしまうことはよくあることです。管理人もこの曲を繰り返し聴き続けている内に、この曲の魅力にぞっこんになってしまったのでした。はっきり言って、曲に含まれている滋養の豊かさから言えば、味わいの深さは「新世界より」よりも上を行くと思います。

では、この曲の魅力は何か?これはこの曲がボヘミアの香りいっぱいの歌に溢れているところにあると思います。ドボルザークは、シューベルトやチャイコフスキーと並ぶ、クラッシック界きってのメロディーメーカーだと思いますが、この交響曲第8番にあるのは、歌!歌!歌!なんですね。

どこを切っても歌に溢れている。その歌は、おそらくボヘミアの大地と自然から出てきていると管理人は感じています。いずれにせよ、ドボルザークのメロディーメーカーぶりが最高の形で発揮されている一曲なんです。

更に、管理人の感覚で言えば、この曲には含みが多いというか、のりしろが多い。表面に現れていない「潜在的」な部分が大きい曲だという印象があります。

この交響曲第8番に比べると、交響曲第9番「新世界より」は、「顕在的」な部分が圧倒的に大きい曲という印象を受けます。つまり鳴らされた音がほとんどすべて、ということです。言葉を変えれば、非常に明快な曲だということです。雲ひとつない快晴の青空みたいな曲なんだ。そして、このことが交響曲第9番「新世界より」のポピュラリティーと魅力につながっていると管理人は思います。

それに比べると、この交響曲第8番は、鳴らされた音のみでは語れない、潜在的な部分が大きい印象を受けます。天気で例えれば、曇りの時もあるし、霧が出る時もある。「新世界より」よりも明快ではなく、ややうすぼんやりしているかもしれません。でも、逆に言うと、そこがこの曲の魅力なんです。

更にこの曲は、まさにメロディーの宝庫ですが、次から次に出てくるメロディーたちの底に流れているものがある。あるいは、そのメロディーたちが、そこから出てくる何かの存在を感じさせるものがあります。

じゃあ、それはなんだと言われたら、それはたぶんドボルザークの故郷ボヘミアの大地と自然なんじゃないかな?と管理人は推測しています。そこからこんこんと湧き出る泉のように音楽が沸いて出てくるんですね。湧いて出て来るから無尽蔵なんだ。汲んでも汲んでも汲みつくせないものが、この曲には確かにあります。

「潜在的」という言葉を使うと、人間深層心理の闇の部分、とかいうイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、この曲の底にあるのは、たぶんそういう暗いものではありません。

「じゃあ、大地や自然は暗い部分はないのか?」と言われると、どうなんでしょうね?そこはなかなか難しいのですが、でも、この曲にあるのはたぶん肯定的なものです。人が人として生きていくことに対する肯定であり、大地と自然の中で生きる人々の営みに対するYesなのではないかな?と思います。

この曲に関わらず、ドボルザークの楽曲の背後には、おそらく多くの場合ボヘミアの大地と自然があります。楽曲と大地・自然の間にドボルザークが立って、つまり仲介役となって、ドボルザークの身体を通して、大地・自然から生まれる歌を楽曲の中に送り込んでくれていたのではないか?管理人は、そのように感じられてなりません。

まあ、とにかくですね。歌に溢れたこの曲は、音楽の栄養がふんだんにつまっています。何という豊かな滋養がこの曲の中にはあることだろう!!正に食べる音楽。「音楽はソウルフード」とは正にこのこと。「どうぞ素晴らしいソウルフードを召し上がれ」ってことです。

そもそもドボルザークは、お肉屋さんの息子さんでした。

音楽の好きな一家で、伯父さんはトランペットの名人だったとか。ドボルザークは子どもの頃から音楽的才能を発揮していたそうですが、やっぱりお父さんはドボルザークにお肉屋さんを継がせようとしました。ところが、伯父さんと当時ドボルザークの才能を評価していた音楽の先生が大反対したそうです。結局、伯父さんがドボルザークの経済的な負担を負う約束でプラハの音楽学校へ行くことになったそうです。

お肉屋さんがいけないことはまったくありません。お肉屋さんが居なかったら、僕らお肉が食べれないじゃないですか?

だけど「伯父さん、音楽の先生ありがとう!」と管理人は言いたい。この時、プラハの音楽学校に行くことがなけば、後の大作曲家ドボルザークは存在しなかった訳で、交響曲第9番「新世界より」も、交響曲第8番も、他の素晴らしい曲たちも、私たちは聴くことは決してなかったはずだからです。

音楽評論家の吉田秀和氏がドボルザークについてこんなことを言っています。

「このボヘミアの田舎の貧しい肉屋の息子は、両親から他に何の財産も与えられなくても、音楽というものをいっぱい持って、世の中に生まれてきたのだった」(吉田秀和著『私の好きな曲』より)

正にその通り!!

この交響曲第8番を聴けば、吉田秀和氏の言っていることがよくわかると思います。

演奏にもよりますが、この曲は4つの楽章から成り、演奏時間は35分から40分程度となります。でも初心者の方にはなかなか長くて難しいかもしれません。なので、長いと感じる方は第1楽章だけでも聴いてみてください。おおよそ10分程度です。

ラファエル・クーベリック指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の演奏を貼っておきます。

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