クラッシック入門名曲100選という企画に必ずご登場願わなくてはならない作曲家が何人か存在します。
今回ご紹介するチャイコフスキーは、その最右翼のひとりとなります。
それは何故か?
管理人が思うに、チャイコフスキーがクラッシック界きってのメロディーメーカーだからです。
魅力的なメロディーを書き、更にそのメロディーを広いレンジの中で存分に羽ばたかせ、展開させる手腕に関して言えば、チャイコフスキーはクラッシック界で最高峰に位置すると言ってよいでしょう。そもそも、素晴らしいメロディーを書くという点においては、誰にも超えられない天才であるモーツァルトやシューベルトよりも上だったかもしれない。いや、おそらく上だったでしょう。
チャイコフスキーのメロディーは、どのメロディーをとっても、チャイコフスキーのメロディーであり、他の人の書いたメロディーではあり得ない、という特徴を持ちます。一瞬聴けば、あ、チャイコフスキーだ、とわかるくらい特徴的なんですね。
更に、チャイコフスキーのメロディーは、なんというか、ポップなのですね。チャイコフスキーは19世紀後半に活躍した作曲家です。この時代にボップな感覚を持っていたのはすごいことです。そのポップさ故に、クラッシックというジャンルの中では、やや軽く見られてしまう傾向がなきにしもあらず。
でもね。そのボップさゆえに、クラッシックビギナーの方々にとっては、聴きやすく、入りやすい存在だと思うんです。
だいたいポップであることは、本来、素晴らしいことです。けなされることではまったくない。
そもそも管理人は、エルビスプレスリーやビートルズ以降、現在に至るまでのポップミュージックもこよなく愛する者。
そんなチャイコフスキーのポップサイドがよりよく現れた、彼のバレエ音楽から一曲と思っていたのですが。。。
「チャイコフスキーの交響曲を紹介せよ」という声が体の内側から聞こえてくるではありませんか。
や、それはないでしょう。何しろ、ベートーベンの交響曲第6番「田園」の項でも書きましたように、ただでさえ、交響曲は長いんです。それだけでもハードルが高いんです。だから、出来るだけ短い曲を紹介したい。
「それがなんだと言うのだ!」という声が聞こえます。しかもです。「交響曲第6番『悲愴』を紹介しなくてどうする訳??」と聞こえてくるではありませんか。
いやー、「悲愴」ですか???ややや、それはないでしょう!確かに交響曲第6番「悲愴」は、チャイコフスキーの最高傑作です。しかしですよ。あの曲は暗すぎる。何と言っても「悲愴」というくらいなんです。しかもですよ。チャイコフスキーはこの交響曲の初演の10日後(確か、それくらい)には亡くなってしまうんです。正に「悲愴」な訳です。おそらくチャイコフスキーは、自らの死を予感しながら、この曲を作曲したに違いない。そんな曲を初心者の方々にいきなりぶつける訳にはいかない。
「四の五の言わずに紹介せんかい!お前、この曲に惚れきっていただろうが!」
そうでした。確かにそうだったんです。管理人がビギナーだった中学2年生の頃、管理人はこの曲に夢中になってしまっていたのです。
それは何故だったのか?
オーケストラ音楽の魅力と醍醐味がこの曲に詰まっていること。それもわかりやすい形でです。更に、オーケストラの鳴りの素晴らしさ。そしてその鳴りの宇宙的であったことが挙げられると思います。
先ほども書きましたように、交響曲第6番「悲愴」は、チャイコフスキー最後の作品で、管理人が思うにチャイコフスキーの最高傑作です。
稀代のメロディーメーカーだったけれども、ベートーベン的な構成力には難のあった彼が、メロディーの魅力を損なうことなく、彼独自のやり方で、見事な構成力を成し遂げた、そのような作品だと思います。
そして、その昔、ベートーベンがやったように、チャイコフスキーは自らの人生の全てを果敢にぶち込むことに成功した作品であるとも思います。
残念ながら、その結末はハッピーエンドにはならなかったけれども、この曲には、不思議な浄化の作用があるように管理人は感じています。
この曲は、全部で4楽章あります。演奏時間は、演奏にもよりますが、だいたい45分くらい。
で、ベートーベンの交響曲第6番「田園」と同様、この曲もどこかの楽章を切り抜きます。チャイコフスキーさん、ごめんなさい!
で、管理人は迷うことなく第1楽章を切り取ります。とにかくこの第1楽章はすごいんだから。まぁ、皆さん聴いてみてください。
始まりは暗い。暗すぎる。正に漆黒の闇です(笑)どうしてここまで暗いのか。でも、チャイコフスキーは書かねばならなかったのです。
音楽は漆黒の闇から始まって、しかし少しずつ動いていきます。少しずつ加速していく。動いて動いて加速していきます。加速していく際の弦楽器の鳴りを聴いてみてください。これがチャイコフスキーの弦楽器の鳴りです!管楽器の鳴りを聴いてみてください。これからチャイコフスキーの管楽器の鳴りなんだ!めちゃくちゃカッコいい!
そして最初のカタストロフィーが生じて、音楽が静まってくると、やおら、この交響曲で最も有名な美しいメロディーが奏でられます。チャイコフスキーはたくさんの素晴らしいメロディーを書いた人ですが、このメロディーはとりわけ美しいものです。
哀切のメロディーが切々と奏でられます。こんなメロディーを交響曲のど真ん中に持って来ることは!これは曲を構成する上では難しいことだったと思います。でもチャイコフスキーはやった訳です。やらずにはいられなかった。更にこのメロディーは、広大なロシアの大地を感じさせます。ああ、チャイコフスキーの背後には、ロシアの大地があったんだな、そう思わせる広大さを感じさせます。
このメロディーがたっぷり奏でられると、曲がいきなり爆発します。そして曲が大荒れに荒れまくります。オーケストラが曲を蹂躙しまくります。チャイコフスキーはなぜここまでやらなければならなかったのか?やはりそれは、どうしてもやらなくてはならなかったからに違いありません。(日本語がおかしくなっている)
しかし理由なんてどうでもよい。問題無用の音楽的説得力がここにはあります。
荒れに荒れに荒れ果てて。。。また先ほどの美しい哀切のメロディーに戻って来ますが、管理人は、ここまでの道程に宇宙的な広がりを感じます。チャイコフスキーの弦楽器の鳴り、木管楽器の鳴り、金管楽器の鳴りが宇宙的なんですね。この鳴りをこそ聴いて欲しい、感じて欲しい。なぜ管理人が無理強いこの曲をご紹介するかと言うと、この鳴りをこそ聴いて、感じていただきたかったからです。
この鳴りの中に、この鳴りの流れの中に、チャイコフスキー個人を超え、更にロシアの大地をも超えた、宇宙の旋回を感じる。
そうです。この曲は宇宙的な曲なんだ。だから管理人はご紹介したかった訳です。
この曲のドラマティックさは、ツゥーマッチに過ぎるかもしれない。やり過ぎかもしれない。しかし、当時のチャイコフスキーは、やらねばならなかったのでしょう。状況なんて構ってられなかったのです。そしてそれは、おそらく芸術的に言っても正しかったと思います。
オーケストラ音楽の魅力、醍醐味が堪能出来るこの曲。「なんだか訳がわからないけど、すごい!!」を堪能していただければ、と思います。