前回、チャイコフスキーの交響曲第6番悲愴を紹介して、では、次に紹介する曲は?と考えた途端、というか、考える間もなく、ドボルザークの交響曲第9番「新世界より」が出て来てしまいました。
またもや交響曲!?
このコーナーは、クラッシック初心者の方々に入門用の曲をご紹介するのが目的のはず。それなのに、また交響曲なのか!?
しかしですね。実はクラッシックというジャンルにおいて、交響曲という分野は、クラッシックの中心、メッカ、花形なんです。なんでかというと、ベートーベンが作曲した9つの交響曲のせいなんです。ベートーベンという天才が交響曲という分野で金字塔的作品群を作曲したせいで、交響曲という分野がクラッシックの中心的存在となったのでした。
そんな交響曲という分野で、最もポピュラリティがあり、人気のある曲のひとつが、このドボルザークの交響曲第9番「新世界より」なのです。
そもそも、ドボルザークもまた、クラッシック入門というテーマに関しては絶対にご登場願わなくてはならない人です。なぜならドボルザークもまた、稀代のメロディーメーカーだからです。
実際、この新世界交響曲の第2楽章は、「家路」として親しまれているメロディーを基軸に展開されている大名曲。この「家路」のメロディーを知らない人はいないでしょう。この交響曲の4つの楽章からどこか切り取らなくてはならないとすると、通常はこの楽章になるでしょう。「クラッシック入門」としてご紹介するには、うってつけの曲と言えます。
しかし。。。何かが違うのです。確かに第2楽章は、超絶大名曲なんです。でも何かが違う。そう、この交響曲の真の魅力は、他の楽章でのドラマティックで荒々しいとも言えるオーケストラの鳴りに現れているのではないか?
それでいろいろ悩んだのですが、とにかく無理矢理第1楽章を切り取ることにします。皆さん、どうぞ聴いてみてください。
どうでしょう?皆さんは、このダイナミックな音の轟きに驚かないでしょうか?ここで管理人が言いたいのは、この曲の場合、オーケストラの鳴り、轟きそのものが、もはやひとつのオリジナルな世界を形成してしまっているということです。
ドボルザークには、他にも大傑作があり、管理人がこの曲よりも好きな曲も存在しています。(例えば、交響曲第8番、チェロ協奏曲)
そもそもドボルザークのオーケストラの鳴り、轟きは、他の曲においても極めてオリジナルなオーラを発しています。しかしこの曲においてその鳴りと轟きは、そのオリジナル性において、ドボルザークの諸作品の中で、最高点を叩き出している。傑出しているのです。
人気作曲家のドボルザークの作品の中でも、とりわけこの曲に人気がある理由は、この鳴りと轟きのせいではないでしょうか?確かに、この曲においても、メロディーやフレーズも重要な要素です。しかし、それ以前に鳴りと轟きそのものが、もう、ひとつの世界なのです。
どうして、どのようにして、ドボルザークは、この鳴りと轟きを響かせることが出来たのか?これはもう謎としか言いようがありません。
更に、この第1楽章を聴いただけでも、そのダイナミックな音の轟きだけでなく、何か深い懐かしさ、郷愁、というべきものを感じるのではないでしょうか?この曲には、どこか帰っていくべきものへの懐かしさ、更に広大な自然を讃えるような懐かしさがあります。
この曲は、「新世界より」と名付けられたように、チェコの作曲家がアメリカで作曲し、響かせたものです。ここには、おそらくは、チェコとアメリカの広大な自然、大地が背景としてあります。
私は日本で生まれ育った日本人です。それにも関わらず、この懐かしさは一体何なのか?この懐かはどこからやってくるのだろう?
懐かしさだけではありません。
懐かしさとは相容れないような、異様な轟きもまた、この曲には含まれています。特に弦楽器が奏でるフレーズの中に、ギョッとするような瞬間が感じられる箇所があります。これは一体何なのだろう??
(この異様な要素は、この交響曲の第3楽章と第4楽章にも多分に含まれています。)
この曲は、クラッシックの中でも最もポピュラーな人気曲のひとつです。にもかかかわらず、このわけのわからない異様なフレーズが、フレーバーとしてではなく、大きな要素として含まれており、それにも関わらず、というべきか、それ故にこそ、というべきか、とにかくその要因により、この曲のオリジナリティを嫌が上にも高め、かつポピュラリティを獲得させてしまっている結果となっていると思います。
どうして、ドボルザークにこんなことが出来てしまったのだろう??この曲には確実に魔法がかかっています。第1楽章の始めから第4楽章の終わりまでです。ドボルザークは天才的な作曲家であると思いますが、ドボルザークも常にこんなことが出来た訳ではありません。
ドボルザークの諸作品の中でも、とりわけ人気が高いのが、この新世界交響曲とチェロ協奏曲、そして弦楽四重奏曲「アメリカ」なのですが、これらの作品は皆、ドボルザークがアメリカのニューヨーク・ナショナル音楽院の院長として赴任していたアメリカ時代に作曲されたものです。
おそらく、ここに大きなポイントがあったのだと思います。ドボルザークはチェコの人ですが、アメリカに赴任している間、大きなホームシックにかかってしまったのは有名な話しです。しかし一方、その間、ドボルザークは黒人霊歌に出会い、大いに感激し、大きなインスピレーションを得た、ということも有名な話しです。ここで、ドボルザークが黒人霊歌に共鳴したことは、極めて大きなファクターだったのではないか?
この曲が作曲されたのは、19世紀後半のこと、まだ黒人がギター片手にブルースを奏でていた時代ではなかったことと思います。(そこは残念。ドボルザークがブルースを聴いたらどうだっただろう!?)
管理人は、黒人霊歌のドボルザークに与えた影響について詳しくないのですが、言いたいのは、この曲にはブラックミュージック(黒人音楽)の影響が入っているとみて、間違いないのではないか?ということです。
ブラックミュージックの要素とドボルザークの体内にあった伝統的なクラッシックの要素、さらにチェコ・ボヘミアの要素が化学反応を起こし、あるいはマリアージュして、この曲に魔法がかかったのではないか?この曲について詳しく調べてみなければわかりませんが、管理人にはこのように感じられるのです。
いずれにしても管理人は、この曲の鳴り、轟きの中に、伝統的なクラッシック音楽の要素とドボルザークの故郷であるチェコ・ボヘミアの要素、ブラックミュージックを含んだアメリカの要素という、多国籍的な要素を感じます。これらの様々な要素がドボルザークという天才の中で、完全に消化された上で、ひとつの極めてオリジナルな世界として提示されたのでした。
いずれにしても、管理人は、この曲の中に、チェコボヘミアの大地を含み、アメリカの大地を含みながらも、それを超えた宇宙的な鳴りと轟きを感じるのです。大地に根ざしながら宇宙が鳴っている。
要するに、問答無用の最強の一曲ってことです。
出来れば、第1楽章から第4楽章まで通して聴いて、宇宙の果てまでぶっ飛ばされていただければ、と思います。