ブログタイトルについて

ブログタイトルのもぐもぐクラッシックの「もぐもぐ」は、「ごはんをもぐもぐ食べる」食べるの「もぐもぐ」です。つまり、「クラッシック音楽をもぐもぐ食べよう」と言う風にとっていただくとよいかと思います。

や、クラッシックって、というか、音楽って食べるものと違うよね?と思われるかもしれませんが、このブログを運営する管理人は、長く、ほとんど食べるように音楽を聴いて来た、という実感があります。素晴らしい音楽は、ある意味食べ物と同じ様に、栄養を摂取出来るのではないか?という訳です。

栄養を摂取することが食べる目的の中心にある訳ですが、栄養、という点では、素晴らしい音楽には栄養がたっぷり詰まっています。ただ、食べ物と違うのは、音楽の栄養素は、身体ではなく、心や魂に吸収される、という点だと思っています。
(しかし、そもそも「ソウルフード」という言葉があるように、料理には、心や魂に行き渡る側面は確実にあります。そんな料理が「ソウルフード」な訳ですね。)

例えば、宮沢賢治は、『注文の多い料理店』の有名な序文の冒頭で、

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃ももいろの うつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗らしゃや、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。

と語っていますが、ここで言う氷砂糖は、物理的な食べ物です。一方、すきとおった風と桃色のうつくしい朝の日光は、物理的な食べ物ではないのですが、賢治はそれを「きれいなたべもの」と言っています。

その後、賢治は、注文の多い料理店の中に収められている童話が出来た経緯を説明し、この序文の最後に

けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

と述べています。
賢治は自分が書いた物語が、読者の「すきとおったほんとうのたべもの」になることを願っている訳です。

管理人は、賢治の言う「すきとおったほんとうのたべもの」とは、心や魂にとっての食べ物だという風に受け取っています。賢治にとっては、物理的な食べ物だけが、食べ物ではないのですね。他にもっと大切な食べ物があるよね?、ということを賢治は言っているのではないでしょうか?

ここで賢治が言っている「ほんとうのたべもの」には、音楽は入っていません。しかし、中学1年の時に音楽に目覚めて以来、音楽を聴きに聴きまくってきた管理人は、素晴らしい音楽は、賢治の言う「ほんとうのたべもの」になるだろう、と思っています。実際管理人は、毎日のように音楽を食べ、心と魂の栄養素として来たとしか思えないのです。音楽がなければ、果たして生きて来れただろうか?とさえ思います。

管理人からすれば、音楽はソウルフードです。心と魂のための食べ物です。ですから、ブログのサブタイトルの「音楽はソウルフード」とは、そういう意味になります。

このブログで、素晴らしいクラッシック音楽をご紹介することによって、皆さんにとっての音楽の「ソウルフード」を届けられれば、と願っています。